かわいいとおいしい

そのために生きている

ディズニーみたいな味がするお菓子

すこし前から店頭で見つけて気になっていたお菓子をようやく買ってみた。甘い匂いがなんとも形容しがたくて、「なんかこのお菓子、ディズニーみたいな味がする」と言ってみたらこれがまた変にピタッときて、家族にもうまく伝わった。

言葉って面白い。楽しくて良いなぁと思う。私は雰囲気で言葉を使ってしまいがちなのだけど、今回ばかりはそれがうまくいった例になりそう。

さて、風邪をひきました。最近読んださくらももこのエッセイで、健康志向の強すぎる彼女は普段からさまざまな民間療法に力を入れていて、風邪の気配を感じたときも、事務所に連絡してしばらく自分への連絡を断ち、にんにくだかなんだかを食べて暑くしてひたすら布団にくるまって、3時間で治したということを思い出した。いやぁ、さすがに3時間はやってみようとも思えない。

しかし昨日から喉の調子はおかしく、もともと決してハイテンションではない私がなんだか楽しい気持ちになってきたのでこれは様子がおかしいと、気合いを入れて22時近くにはベッドに入るという万全の態勢で朝を迎えたところ、なんとか1日分は這ってでも働ける気力が湧いたきていた。睡眠時間に勝る薬はないのかもしれないなんて思う今日この頃。眠るのがあまり得意ではないとこんなところでも困ってしまうけれど、とりあえず、この三連休は大切な友人の結婚披露宴もあるのだ。なんとか治さねばならない。ついでにここ最近の曇った気持ちも晴れてくれれば良いのだけれど。

母の公演を観にいく

「母のミュージカルを観に実家に帰ります」そんな面白いことを言える人生であることを、改めて誇りに思う夜。

母が表舞台が好きな人であることはわかっていた。もともとスポーツ万能で委員長タイプだった母は学生時代に本当にやりたかったことをできず、体育会系を全うしたことを悔いているようだった。私は逆に吹奏楽、放送、音楽、美術と母ができたこととは真逆の文化系人生を歩んできたので、少し羨ましそうにされるのも不思議なものだった。母は私にないものをたくさん持っている人なのに。

そんな母が数年前に地元のコミュニティラジオのMCをはじめた。思えばそこから数年の経験が、着実に今につながっている、いや、つなげているのだなぁと思う。数年続いたラジオが終わり、次に母が踏み込んだのはミュージカルの世界だった。かねてより「60歳を過ぎたらアイドルとしてデビューする」と言っている彼女の言葉がやや説得力を帯びてきたのを感じた。

はじめてのミュージカルは1年間の稽古の末、無事に今年の1月に行われ、やや複雑な気持ちで見に言った娘の私は、舞台上の母の姿になんともいえない感情を覚えて号泣した。母が私の母でよかった、そう心から思ったのだ。

前回の公演では母が出てくるたびに母が気になってしまい、舞台も感動したのだが、母の印象が勝ってしまっていた。しかし今日はわりと落ち着いて舞台を観ることができ、母もアンサンブルの一員として私の中の舞台にすっと溶け込んでいた。これはこれで、素晴らしいことだ。

母のエネルギーにはいつも驚かされるが、素直に素敵だと思えるようになった今の自分も褒めてあげたい。私は本当に家族が好きだなと、改めて思った夜だった。

前歯からくる異変

私は虫歯になったことがない。しかしわかかりし頃のかわいい過ちが原因で右の前歯(上)がパッキリ折れて、差し歯である。

前歯を折ったのは小学3年生のお正月だったが、差し歯にしたのは実家を出た7年前である。それまでは折れた歯を強力な接着剤のようなものでつけている状態だった。もちろん歯医者で施工されている。歯科技工士の父と歯科衛生士の資格を持つ母が旅立つ娘(私)に今後はいつその歯が取れてもいいようにと、いっそ差し歯にしてはどうかと打診され、よくわからないまま差し歯をつくり、上京した。

ちなみにそもそもどうして前歯を折ったのかというと、小学3年生のお正月、デパートに初売りに連れていってもらった私は当時まだいわゆるプリクラではない概念のプリント倶楽部を一人で撮影したかった。絵のような枠に入るタイプのそれで、今だと観光地ぐらいにしかない趣深い元祖プリント倶楽部である。その機械はレバーで操作できるようになっており、私は勢い余ってそのレバーに強打したというわけである。

「折れた」そう思った私はとりあえず折れた歯を拾い、そっと母親に差し出したような記憶がある。怒られか心配されたかも覚えていないが、父が歯科技工士ということもあり取引先の歯医者(休診)に連れていってもらい、「三が日もだれかくるだろうと思ってはいたがまさかおたくとは」と言われたことだけ鮮明に覚えている。

そこから例の接着剤生活が始まるのだが、これがまぁ厄介で、結構定期的にとれるのだ。キャッチャーをしていてボールが顔に当たるという夢から起きたら歯が取れていた、ということもあった。それだけでなく私を苦しめたのは、結局この時点ではくっつけた葉の部分は神経が丸出しになっており、熱いものや冷たいものを食べると痛くてたまらないことだった。これはのちに残っている歯の神経を抜くことで解決された。

そういうわけでさすがに上京する際にはこんなことにならないで済むようにと、両親から差し歯を贈られるわけである。ちなみに実家にいるときに連れていかれる歯医者は基本的に父の取引先で、父も母も歯のプロであることもあって、私のレントゲン写真を見ながらの説明はすべて専門用語でのやり取りで、本当にさっぱりわからなかった。本人がわからないのに良いのだろうかと思ったものである。

そして親元を離れてからは特に歯に異常もなく……というわけにいかず、ときたま前歯付近がデリケートになり、熱いものがしみる(神経は通っていないので、どういう状態なのか自分でもよくわからない)ようなときがあり、何度か病院にも通った。どうやら神経の詰め物が悪さをしているようで、とりあえず歯磨きとデンタルフロスを勧められた。25歳、虫歯経験なし、父歯科技工士、母元歯科衛生士で言われる「歯磨きをきちんとしろ」は正直しんどい。

しかしまぁはじめてデンタルフロスをした快感は忘れられず、夫がリステリンスキーであることも幸いして、ときたま歯磨きブームが訪れる。まぁ結局フロスから脱落していくわけだけど。

今日も前歯からくる異変を察知して丹念にフロスを行なった。明日からは父母のいる実家へ帰る。なんとなくルーツを思い出しながらフロスを行なった夜だった。

マイブームはミツカン黒酢(ぶどう味)の牛乳割り

さすがに太りすぎたのではないか?そう思ったのは数年ぶりにユニクロに出向き購入したエクストラファインメリノクルーネックセーター(白)を着て鏡の前に立った時だった。どうにもおかしい。GUで買った今季流行るというベロアスカート(桃)に白のメリノセーター(この呼び方でいいのかわからない)を合わせる完璧な計算が、何かに拒まれている。それは私の立派な二の腕であった。

そこから不思議なもので、今年始めに挙げた結婚式にも痩せきれなかった(自称下半身ぽっちゃりであるため衣装で脚は隠れるという作戦だった)この私が、ほぼ一ヶ月、お風呂あがりの二の腕引き締め体操と肩甲骨体操を続けている。多少変わったと喜んでいたものの冷静に見るとあまり成果はないようにも見えるので道のりは長い。

私もこれまで生きてきて何度か美容ブームが訪れたものであるが、今回は健康ブームも同時にやってきた。食べるのが好きなので食べることを我慢するのが論外で、お米を食べられないくらいなら毎日走った方がマシである。実際に走らないので何にもならないのだが。そんな私が健康と美容を極めようとすると、大概マッサージに始まり、それ関係の商品に手を出してみたりするわけで、今回のターゲットは『ミツカン黒酢』だったというわけだ。

「なんとなく健康に良さそうだし」というノリでまずはストレートタイプを買ってみたところ、夫氏と2人家族の我が家では3日と持たなかった。自信が出てきたので700mlの濃縮タイプを買ったが、朝晩と飲んでいるとあっという間になくなってしまう。しかも近所のスーパーにも豊富に種類があるわけではなく常にリンゴ酢。飽きるな。そういうわけで我らがアマゾン救世主に頼ってみた。1L近くの黒酢が、味も豊富に、お手頃な値段でそれはもうたくさんある。さっそくリンゴとぶどう味を買ってみた。

テレビに出ていた美魔女は毎日黒酢を飲んでいるのが美の秘訣だといっていた。豆乳や牛乳で割ってみたり、という。思えば私の美容健康浪費癖は母親譲りであり、母も一時期リンゴ酢にハマり、我が家の日課になっていた。その頃は濃縮した黒酢を一杯分のむのが苦痛だったのだが、いまは喜々として飲んでいるのだから、この母にしてこの娘ありということだろう。そんなリンゴ酢には馴染みのある家庭で育った私であったが、黒酢を牛乳で割るなんて文化は知らなかった。私の両親は揃って邪道嫌いなのも関係しているかもしれない。しかし私も最初はお酢を牛乳で割る……?とかなり懐疑的であった。

やはり人間知らないことが多いということはつまらない。牛乳で割った黒酢(ぶどう味)は本当に美味しいし、健康にも良さそうだし、これからも飽きるまで続けていくのだろう。ちなみにまだ体重は1kgしか減っていない。

明日の私が頑張ってくれ

元来、真面目な人間である。

 

私のことをフルフレックスを謳歌した遅出早帰りの人間だと思っている人もいるかもしれないが、私の効率性と察知力の高さを知らないのはある意味幸せなことだろうと思う。確かに私の実働時間はそこまで多くはないが、それ以外の時間で会社のことを考えている時間は、そこそこ長いのではないか。それは私の仕事がいわゆる管理部門、コストセンター、非営業部隊であるから組織や会社のことを考えることが仕事であり、実働以外の頭を働かせる時間が必要とされるからでもあるだろうけれど。

 

そういうわけで、特に何か新しいことをしかけようとしている時期は、こんな時間になっても不安なこと、やりたいことが頭に浮かんでしまって、身体は疲れ果てているのに体温が上がり、ますます寝付けない夜がやってくる。結局この焦燥感は「いまやらないと忘れてしまうかもしれない」という恐れからうまれるわけであって、どうか明日の私に引き継ぎたいと、メモを残すことにした。明日の私が頑張ってくれ。明日の私よ、頑張りすぎないでほしい。

連休が明ける銭湯は玄人が集まる

去年の6月から住み始めたこの町には銭湯がたくさんあって、疲れがたまると銭湯に行ってリフレッシュ、ということが簡単にできるようになった。上京したばかりの頃の私は、生まれ育ったのが温泉で有名な地域ということもあって、東京の『銭湯』という文化が不思議で、源泉でもない熱いお湯に大勢で入って何になるんだろう……と生意気にも思っていた。しかし、やはり染み付いた温泉文化が愛おしかったのか、たかが熱いお湯に入るだけの施設に1回2000円近くかかったとしても、わざわざ1時間近くかかる場所に遠出してまでも、スーパー銭湯なる施設に行くようになるまでそう時間はかからなかった。しかしやはりスーパー銭湯。誤魔化したような湯と、誤魔化しきれない料金がなかなかに足を遠ざけるのは仕方がなかった。

 

しかし銭湯は460円である。組合かなにかに所属しているとかで一律に同じ料金で楽しめる。私の現在の家からは、歩いて通える範囲に5軒は銭湯があり、そのどれもが460円で楽しめるのだ。スーパー銭湯の1/4である。これはこれは、と、この1年はとにかくよく銭湯に通っている。もはや通うという概念でもない。「今日は疲れたから銭湯に寄って帰りましょう」「明日からも頑張るために銭湯にでも行きましょうか」そんな会話がごく自然とされ、銭湯は我が家にすっかり溶け込んでいる。

 

銭湯は面白い。私は基本的に一人を好むし、ざわざわしたところや人が近い空間は得意ではない。銭湯は他人と裸で湯を共有する空間だ。「効能があるわけでもないお湯に他人と入って何が楽しいのだ」そう思っていた時代が私にもあった。しかしそれは違うと声を大にして主張したい。銭湯は楽しいのだ。まず、一人の空間が邪魔されることはまずない。友人や親子で一緒に入浴しており、会話を楽しみながら入浴している人もいるにはいるが、基本的にはそこは誰にとっても共通の『風呂場』であり、パーソナルな空間なのだ。『温泉地』とは違う。とくにこの連休前最後の夜、日曜の夜などもそうだが、基本的に地元の人の割合が増える時間帯は如実にその傾向が強まり、念入りにパックをするもの、カミソリでケアするもの、軽石でかかとをけずるもの……まるで自宅の風呂場のような我が物顔で空間をつかう玄人たちが集まる。その瞬間が私はたまらなく心地よく、おもむろに太もものマッサージを始めたりするのである。

 

正直、銭湯がこんなに好きになると思っていなかった。他人と何かをするのは好きではないほうだし、もはや人間が好きじゃないのかなと思い悩むこともなくはないのだが、銭湯でほかの人の存在を許容しながら、いろんな人生を妄想している自分に気づくと、「私そんなに人間嫌いじゃないな」と思えたりする。こんな人間がいると思うと、人は気味悪がって銭湯に行けなくなりそうだが、どうかそうならないでほしいと思う。とにかく、私にとって銭湯は、自分を許せる憩いの場所なのだ。

報われない足

昔から言っていることだが、衣食住の『衣』への興味が極端に低い。これは昔から母が買ってくる服と趣味が合わなかったとかまぁいろいろ自分でも思いつく理由はあるのだけど、とにかく『衣』を能動的に行うことが少ない人生だった。

 

とはいえ好きな服の系統というものはあるし、似合う服の系統は何なのか、はたまたTPOなんてものにどう立ち向かえばいいのか、実家を出てからの7年でだいぶ進歩したのではないかと考えている。そんな私の最大の敵が、靴だ。

 

思えば靴なんて相場の値段もわからず、実家にいる頃は母がハマった健康靴とやたら相性がいいのをいいことにそればかり履き、なんなら実家を出てからも実家に帰るたびに「そろそろ靴がね〜」なんて言いながら自分では到底手の出せない値段の靴を買ってもらっていた情けない娘である。しかしこの健康靴が非常には着心地が良い。ただし、見た目はそれなりにそれなりの代物だ。それでもそれ以外の靴を履けない(この頃は履いたことがなかっただけ)の私に社会の波は冷たく、「お前は仕事はできるのに服装が幼すぎる」と言われる始末。そんなことで損などしてたまるものかと重い腰をあげ、オフィスカジュアル、ビジネスライクな靴を探し、購入したのであるが、これがまた酷かった。かかとは痛いし爪先は擦れるし筋肉痛にもなる。世の女性はこんな目にあって靴を履かないといけないのか?と思い悩んだ。要するに私の足は過酷な靴に耐えられるほど鍛えられていないのである。結局私は人目を忍んで健康靴に戻るしかなかった。これ以外の靴を履けない(この頃は履いた上で判断できるようになっている)私は、それからも定期的に訪れる「年相応にまともな靴を履かなきゃ……」の波と戦いながら、3年のOL生活を生き抜いていた。

 

そんなときに少し状況が変わる。たまたま訪れたしまむらで買った2,000円そこらの靴が、妙に良かったのだ。かかとも脱げない、擦れることもない、しかも安い。どうしてこんなクオリティのものが今までネットでも話題にならなかったのか?と感動しながらしまむらの靴を履いて二週間後。私は見たことのない足の裏の擦り傷と戦う羽目になる。そうか、これが『安かろう悪かろう』というやつだなと、私はそっとしまむらの靴をシューズボックスの奥にしまった。薄い靴底をカバーするために入れていた中敷に足のにおいが染み着いていた。私はいつになったら素敵なOLになれるのだろう。

 

その後も『痛くない パンプス』で検索した店に行っては靴を購入するものの、ことごとく失敗ばかりしてしまう私は、ついにある日の夜、夫と帰宅途中に脱げたパンプスを見ながらやり場のない怒りを彼にぶつけた。「もう靴なんか履くくらいなら家の外に出たくないくらい追い詰められている」結婚して一年、夫もさぞ困惑したであろう。彼は感情的になっている私の言葉を紐解いて、私の代わりにインターネットで靴のブランドを探してくれた。

 

私はなかなか自分に合う靴に巡り会えなかったわけだが、どういう靴が自分に合うのかは何となくわかっていた。まずローヒール。指先をしっかりホールドし、さらにベルドがあること。このベルドが曲者で、女性靴にローヒールのベルト付きという靴はあまり存在しない。そもそもベルト付き自体があまり美しく見えないからか数が極端に少ないのだ。私は夫に自分は馬鹿ではないのでベルト付きが良いことが分かっているがどうしても見つけられないのだと訴えた。しかし彼はインターネット販売もしていて実店舗もあるブランドを数点ピックアップしてくれたのである。インターネット販売もしているということはどんな靴があるのか見ることができ、実店舗で試着して買えば良い。なんてスマートな検索術なのか。私たちはさっそく次の週末にその店舗に向かった。

 

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そうして購入した靴。凶器かと思うほど尖ったパンプス界でここまで大胆に本来の足の形に寄せ、ベルトがあり、スニーカーのような靴底で非常に歩きやすい。事務職の私からすれば普段はこの程度でちょうど良い。私は本当に嬉しくて「ストレスがない!本当にない!ずっと歩ける!」と喜んでいる。夫は「誰が見つけてきたと思っているんだ」と誇らしげだ。苦節7年、私の足はようやく報われたのだ。持つべきものは優しい夫と靴である。これで、どこに行くのも気分が良い。