かわいいとおいしい

そのために生きている

誰にも見せないメモアプリに蓄積される過去の私たち

愚痴を垂れ流すのがやりたいことじゃないなと思って沸点に達した感じがしたら『瞬間日記』という鍵付きのアプリに書き込んで忘れるようにしている。一時期は少ないフォロワーでも誰かが見ている環境で愚痴るのがストレス発散になっていると自分では思っていたので、こうすることでストレスが晴れなかったら嫌だなぁなどと思っていたけれど、案外文字にするとスッキリするもので、ここ数年はなるべく実生活の愚痴はアプリ任せにするよう心がけている。私のツイッターでの愚痴はアイドル関係ばかりだ。

これはパンドラの箱のようなもので、アプリを起動したらまず投稿画面が表示され、そのとき思い至った愚痴を入力するまでこれまでの愚痴の羅列を見ることはない。普段はカッと打ち込んで、そのあと過去のものなんか見もしないでアプリを落としている。ひとつひとつを読み直すと過去のことであっても不愉快になるに決まっているからだ。

そういうわけで、読まないことにすると決めていたのに、今夜はなんだか気が変わって、昔の愚痴を読み直してみた。とはいえ毎日書いていることもないので10個ほどで数ヶ月分遡れる。

驚いたのは、書いた内容がどんな出来事に紐付いて、どんな事件だったのか、まったく思い出せないことだ。あまりに見事な嫌味のような文章に「よくこんな表現思いついたな」と感心することはあっても、それがどんな感情だったのかをあまり鮮明に思い出せない。

私は粘着質な人間なので、負の感情を持ち続ける方だと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。あまり深追いせず、眠ることにする。とりあえず、愚痴は貯めない見せない文字にする。そういうことである。