かわいいとおいしい

そのために生きている

10w6d

こんな時間に米を炊き、ポークビッツをおかずに食べている。

どうやら紛れもなく私のつわりは「食べづわり」のようで、四六時中吐き気が収まらず、食べるとかろうじて引く、ただ食べすぎると吐くものができてしまうので吐いてしまいそうになる、の繰り返しだ。

ところで前回のブログから10日ほどしか経っていないが、随分日にちが経過した。先週金曜の通院でついに予定日を決めたのだが、その前の通院よりだいぶ育っており、最終月経日を基準に予定日を確定させることになったのだ。大きさから判断すると+2日であったが「こんなもんでしょう」ということで決まり。案外適当なんだなと思った。いちおう決まった予定日は2018年7月6日。私たち夫婦の結婚記念日が7月7日なので、なんとか1日遅れてうまれてきてくれないかと密かに思っている。

予定日を聞いたその足で、地域の健康センターに向かい、妊娠届を提出した。私の住んでいる地区では保健師さんが面談をしてくれて、不安なことや気になることを親身になって聞いてくれる。とりあえず今の時点で気になるところもそんなに多くないのだが、頼れる人がいるというのはありがたいことで、やはり肉親が近くにいないことが多い東京ならではなのかとも思った。

そしてやってきた今週。先週意図せず吐いてしまってからは「これがピークかって感じっすよーハハハ」などとのんきに上司に愚痴っていたが、今週はその比ではなかった。先週は強い吐き気がきてはおさまりきてはおさまりと繰り返していたのだが、今週は四六時中吐き気がやむ隙がない。強い吐き気の回数で言えば先週の方が多かったような気もするが(もはや覚えていない)、四六時中何をしていても6割吐きそうというのは、想像していたよりきついししんどい。なんとか1日5食ぐらいを心がけて、とりあえず少しずつ常に食べておくことに気をつけている。読んだ妊娠エッセイ漫画だと、10週まで家事も何もできなかった人が11週には解放されていたので、来週に一抹の望みをかけている。今はつわりが明けた後の開放感を楽しみに毎日を過ごしている。とりあえずポークビッツは美味しい。

8w3d

つわりがつらい。とにかくつらい。吐き気がして寝れないなんてことがあるとは、想像していなかった。食べても食べなくてもつらくて、冗談のようだが寝ているときがいちばん楽なのである。

8週目からピークになると聞いていたが、本当にそのとおりで少し笑ってしまった。日常生活がままならないので夫氏に何から何まで任せている。もう料理をしなくなって何週間経っただろうか。夫氏がつくってくれるスープやうどんに生かされているが、自分の作る料理が食べたい…。

とりあえずつわり対策として、手首のバンドは手放せなくなった。していてもつらいにはつらいのだが、していないつらさはその比ではない、気がする。お守りで良いので、かなり支えになってくれている。食べ物はなるべく吐いてもダメージのないものを選ぶようにしているが、昨晩、今朝と立て続けに朝バナナヨーグルトを吐いたので、もはや朝バナナヨーグルトを食べると吐くのではないかと思うパブロフの犬状態か。ビタミンB6を求めて彷徨う日々。今夜は熟睡できることを願っている。

7w2d

2回めの検診。無事心臓がペカペカしているのを確認できたが、大きさから推察される週数が7週1日だったため、このブログの週数も今回から変える。思っていたより3日ズレていて、少し不安に思ったのだが、無事つわりも始まり、出血もなく、おりものも問題ないということで、いわゆる『順調』だといわれている。

7w0dの朝に、通勤途中でどうしても気分が悪くなり、はじめて下車して本当に吐きそうになった。私はありとあらゆる生理現象の中で嘔吐が一番嫌いなので、風邪でもなければ絶対に吐かないと心に決めている(風邪のときは悪いものを出さなくてはいけないからしかたない)。そういうこともあってどうしても吐きたくない私は階段をものすごくゆっくりと降りて、その場で壁にもたれかかった。先週から通勤カバンに妊婦マークをつけているもので、心配そうな視線をいくつか感じだが、特に話しかけられることはなかった。話しかけられても反応できないのでそれは良いのだ。暖かい視線があればそれで。

そうして這うような気持ちで出社したわけだが、やはり気分の悪さには耐えかねて、余裕があったこともあり、その日は早退した。それから三日経ったが、日に日に悪くなるばかりで、本当に明日からフルタイムで働けるのかと信じられない気持ちでいる。この時期は一般的に公表しないものだが、本当に世の妊婦さんは働いてるのだろうか???つらくない?????個人的に思うのは、こんな状態で育児なんかできない→二人めなんて無理、ということだ。ただでさえ家事も夫氏にほぼ丸投げしているようなものなのに、育児もあるなんて私にはできない。でもこんな思いをしても、ほしくなるものなのか……私にはまだわからない。

1日1日が長い。食べることがなにより好きなのに、何を食べたいのかもわからず、吐き気と闘う毎日。よく○○しか食べられなかった、と聞くが、その○○さえ浮かばないのでつらい。これさえあれば、というものがあればいいのに……と本当に思う。ああ、ほんとうに1日1日が、長い。

6w5d

気持ち悪さが強くて、なんにもできない休日が終わる。普段から食べるのが好きな方なので、自分が何を食べたいのか、何なら食べられるのかわからずに、ずっと吐き気と向き合わないといけないのがとにかくしんどい。

よく聞くひどいつわりでゲーゲー吐くほどではないからこそ、この不快感をどうすればいいのかわからなくて、自分でもそんなにキツくない方なのにと思ってしまっていて、より追い詰めてる気がする。

幸い夫氏がよくできた人間なので、適当にご飯を用意してもらったり、コンビニに買いに走ってもらったりと甘えることができる。本当によくできた人間でよかった……というところ。

結局人それぞれなので、つわりに効く万能な方法なんてないというのは重々承知しているけれど、どうしても『つわり ツボ』とかで検索してしまう。そして見つけた内関というツボが、意外と相性がいいようで、押しているといくらか気分が楽になった気がする。ということで、ツボ押しバンドと仲良くしている。

VANGOOD リストバンド2本セット (グレー)

もともと胃の不快感をおさえるツボなので、このツボがつわりに効くかというと言い切れるわけではないとのことだが、試してみる価値はあると思う。実際、今の私にはお守りのような存在になっている。ただ、やはり耐性ができてしまうのか、しばらくつけっぱなしだと効果を感じられなくなってくるので、一旦外して、また気持ち悪くなってから着ける、を繰り返している。どこか非合理的な気がしてならないが、今できることはそれで精一杯なのである。

 

6w2d

両親への報告は、どちらもすごく喜んでくれてホッとした。里帰り希望でもめた私の母も「ほんとう〜〜??」と出先だから小声だったが精一杯喜びを表してくれて、近くにいないと面倒も見れないが、できるだけこちらに来れるようにするからと概ね理解してくれた。やっぱり、私の今の一番の家族は夫なので、夫と離れることは考えられないと、我ながら子どもじみているかもと思わなくもないが、でも、子どもを父親と離す必要なんてないと思うという気持ちを伝えることができた。

母は「結局男の人はうまれるまで実感わかないからね…」といい、「お父さんも妊娠してるとわかったときに『ドラマみたいに実感が湧くかと思ったら湧かなかった』と言ってたわ」と続けたのだが、なんの運命か、夫も全く同じセリフを検査薬を前にして言ったのだから面白い。父と夫はよく似てるなと思うが、ここまでかとちょっと笑った。

先週は本当になんともなかったのだが、今週から急にやんわりとした吐き気が一日中とまらない症状に悩んでいる。食べても辛い、食べないともっと辛い。想像していたようにどちらかというと食べづわりの症状である。家事がほとんどできなくて家に帰ってくるとひたすら寝ている。自己嫌悪も酷いのだが、夫が率先して家の中のことをしてくれるので本当にありがたい。忘れないようにきちんと書いておく。

しかし、基本的には自分でなんでもやりたいタイプなので、できることが減るストレスが重い。いまは子どものためにしかたないのだと頭ではわかっているものの、気分も優れないし、言いようのない不安が襲ってくる。まだ周りに打ち明けていないので、この気持ちを伝えられるのが夫だけだというところもなんだかこう、足りないのだ。

というわけでここ一週間はブログも書きたくない状態だったが、今日はつわり自体に慣れてきて、ようやく記録をまとめることができた。次の通院は一週間後。心拍が見えるだろうか。我が家ではまだ見ぬ我が子のことを『ベイベー』と呼ぶことにした。

5w2d

7月にそれまで飲んでいた薬をやめた。

なんとなくやめたらすぐできるもんだと思っていたのだけど、これがまぁそこまで甘くなくて、そもそも月経が復活するまでに2ヶ月近くかかり、PMSのような体調不良は1ヶ月ぐらい続いた。

根が真面目なので基礎体温をきちんと測り、なんとか周期が安定してきたかなと思いつつもやっぱり恵まれず、どうしたもんかなぁといろいろ後ろ向きにもなっていたのだけど、あんまり気にしていなかった月におや?と太ももの付け根にピリピリとした痛みを感じた。これは先月の生理前となにか違う気がする、とあまりよくないけれどネットで調べまくった。もしかして、もしかして、と思いながら毎日体温を測る。そもそも今月は急に冷え込んだこともあって高温期もあまりあがらなかった(36.5ギリ届くくらい)のに、気付けば36.8をキープしている。これは、これは、と思いながら生理予定日がきても生理はこなくて。割と周期はズレない方なので期待しつつも、怖い。予定日一週間で検査薬を試そうと思っていたものの、三連休前にこのまま待っていてもあまり状況は変わらないなと測ってみたら、陽性だった。

びっくりするほど実感が湧かなくて驚いた。夫氏も同じで、つねに子どもはほしかったので頑張っていたけれど、いざできたとなると「本当か…?」みたいな気持ちになった。二人して本当に頼りない親である。

ネットで知識を得てしまったので、5週いかないと超音波でも確認できないよな、ということで一週間待って、今日病院に行き、無事妊娠を確認してきた。いろいろ調べていたけど、内診だけで5000円で済んだ。すごい。

病院はあまり好きじゃないので心配だったが、評判通りのサバサバして良い男性の先生だった。私が内診室に移って夫氏と二人きりになっても夫氏と話していて、とても好感が持てた。なにかすごい診察があるかと心していったのであっさり済んで拍子抜けしたが、エコーの写真も貰えたし、ようやく一歩だなぁと思う。

帰り際、助産師のような女の先生に話しかけられた。私が診察で先生に「どこで産みますか?」と聞かれ、そもそもそんなことを聞かれると思っていなくて戸惑ったのだが、この夏に里帰り出産をしてほしい母親としたくない私がぶつかったこともあってそういう事情を伝えたことに対して、「だいたい8週くらいで予定日が決まったら病院を予約するんですね。」と教えてくれて、先生自身の経験をもとに里帰り出産について親と話し合うよう優しく諭された。とても良い病院だなあと思って、感心している。

いろんなことを覚えておきたいので、周りに公にできない今の時期だけど、ブログには記録していきたいと思う。まずはこんな状態なのに月曜のカントリー・ガールズ3周年イベントではしゃいだことを告白します。いや、しかしどうしても譲れなかったのだ、わかってほしい、我が子よ……。

最高の「観客」としての人生

友人の所属している楽団の定期演奏会に行った。彼女がなにかの公演に出るときにはできるかぎり都合をつけて見に行くようにしている。私自身も5歳から18歳までピアノを習っていたし、中学生のときには吹奏楽部に入っていたし、音楽はずっと好きなので、彼女から届く演奏会の知らせをいつも楽しみにしていて、いつも心から楽しませてもらっている。

自分がやっていたこともあって、いろんなことを考えながら見ている。一番大きな感情は「楽しい」で、単純に観客としてその演奏を無心で楽しんでいる気持ちだ。その次に「自分もやりたい」と続く。人生の15年音楽をやってきて、終えるときには正直「もうやりきった」と思った。このさき、趣味ででも続けていければいいかな、ぐらいの軽い気持ちでやめた。その後自分のような人間には趣味で続けることはできないと衝撃的な事実に気づくのだが。

何度か「演奏会見ているとやりたくなるんだよね」と彼女にこぼしたことがある。彼女は「いいよいいよ。やってみよう」と声をかけてくれるが、私はなんとなくそれ以上進む気になれない。

体力が、ない。社会人になって趣味をきちんと続けられる人を、私は心から尊敬するのだが、それはひとえに彼ら彼女らの体力の大きさに圧倒されているのだと思う。彼女も私から見ると非常に体力があって、いつでも羨ましい。

私は長年無趣味であることがコンプレックスだった。もう少し正確にいうと、無趣味であると自覚していることが、コンプレックスだった。周りから見れば、私もそこそこアイドル鑑賞を続けているし、本も読むし、わりと趣味を嗜んでいる方だと、今ならわかる。だから「無趣味である」こと自体に思い悩むことはしなくなったのであるが、もう少し鮮明にわかったことがある。私は、私自身に体力がなく、動の趣味を続ける才能がないことを、嘆いているのだ。

ざっくりであるが、物事にはだいたい静と動があって、それは趣味にも適応されると思う。私が長く続けられる趣味はほとんどが静のものであって、動で続けられることを趣味として(つまり習い事や部活などの強制されるもの以外で)続けられることができないということに気づいてしまったのだ。これは、ただ単にいま音楽を復活させられないからというだけで決めつけているわけではなくて、この数年間の間にも何度か興味のあることを続けたことがあるのだが、それが続いた試しがないのである。とくにクリエティブなことは本当に続ける才能がなくて、編み物も縫い物も粘土細工も、全部1回で興味がなくなった。私にはなにかを続ける才能があまりないのかもしれない、と思うのだが、アイドル鑑賞と読書はかろうじて続いている。

話がぐるっと脱線してしまったように感じられるので戻すと、今回も演奏会を見ながら、何度も舞台に立つ緊張感や演奏をやりとげる達成感を思い出したのだが、「じゃあまたやりたいか」といわれると、自分の中でしっくりこない気持ちになる、を繰り返していた。ではどうして見るのは好きなのか、聞くのは好きなのか、シンプルに考えると、私はやはりこういう演奏会や劇、舞台、コンサートなどに生で触れることは非常に好きなのである。見ず知らずの大人たちや子どもたちが目の前の音楽に真摯に向き合って、一つのものをつくりあげているときに、心から感動している自分がいる。私の人生は演者から始まっているので、自分はすっかり目立ちたがりで、やりたがりなのだと思っていたし、今もそういうところがあるのではないかと疑っているのだが、どう考えてもここ5年単位で、観客としての自分のポテンシャルを感じてならない。今日そこに思い至ったときに、なんとなく自分の中で腑に落ちたのである。

さぁ、気づいたは良いものの、私は私自身のこれからの人生が「最高の観客としての人生」だと歓迎できるかと聞かれると、やや複雑な気持ちになっている。見ているだけで満足できるかというと、そうでもないのだ。では私は一体どうしたいんだろう? もう少し、いろんな社会を勉強しながら考えていくしかないのかもしれない。

ちなみにこのブログの前につくっていたブログのタイトルは『きっと誰かが主人公』であった。我ながら皮肉なタイトルであることよ。