かわいいとおいしい

そのために生きている

カントリー・ガールズファンとして激動の3ヶ月の記録

私がハロープロジェクトのアイドルをより強い熱を持って好きになったのは2013年の3月頃だった。その頃彼女たちは『アジアンセレブレイション』という曲を歌っていて、その年のハロプロ楽曲大賞で投票をするほど、私はその曲が好きだった。

彼女たちが活動休止を発表したのは、その約一年後。『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』を発売した後のことだった。当時の私はアイドルがどうすれば長く活動できるのかということを考えていて、彼女たちならその壁も壊していけるのではないかと思っていたところでの、活動休止という決断だった。2014夏ハロコンで、真っ暗なステージから始まるオープニングの曲が『普通〜』であったとき、私は悔しくて悔しくて泣いていた。

ところで、私の好きになるアイドルは、その性格は所謂アイドルに向いていないのでは?と思わせながらも溢れ出る才能と魅力がその人をスーパーアイドルとして作りあげてならない人、である。あくまで私の中の定義なので分かりづらいと思うが、近年のハロプロでは、小田さくら佐藤優樹あたりが分かりやすいかもしれない。ちなみに私が人生で一番初めに好きになったアイドルは、松浦亜弥だ。そういう私の基準でBerryz工房という集団を見たときに、私が好きになったのは菅谷梨沙子だった。今でも思っているのだが、Berryz工房の幕引きはきっと梨沙子のためだった。これはまた別の話なのでとりあえず置いておく。私は10年以上あるBerryz工房のほんの一部分しか見ていない。そんな思いがコンプレックスにもなって、結局私にとって最後のBerryz工房は2014年夏のハロコンということになった。

時を同じくして、一つの新しいグループが誕生した。「かわいいだけでなんとかなる、か?」というキャッチコピーで売り出されたそのアイドルグループは、パフォーマンス至上主義で少し疲れていた私の心にすんなりと入ってきた。彼女はアイドル第2の人生として、そのグループを選んだ。私は嗣永桃子と同い年で、誕生日も一月ほどしか変わらない。当時彼女は22歳。自分より10も年下の女の子たちとアイドルをするという決断は、私に衝撃を与えた。

それからはもともとのグループの魅力に加え、「同い年の嗣永桃子が育てるアイドルグループ」として、私の中でカントリー・ガールズの存在は日に日に大きくなっていった。彼女はBerryz工房時の象徴でもあった特徴的なツインテールをやめて、本来の美しさに歯止めが効かない『アイドル』として無敵な状態になった。今だから言えるが、Berryz工房時に彼女をあまり見ていなかったのは、その髪型があまりに可笑しくて、パフォーマンスの邪魔をしているとすら思っていた。ただ、Berryz工房という超個性派軍団の中において、「かわいい」が魅力の彼女が人々の目にとまるには、あれぐらいのことをしなくてはいけなかったのだろうなと、今なら思える。そしてそのときに世間についた『ももち』のイメージは、私の中にもあって、「カントリー・ガールズの中で一人目立つような行動をとったらどうしよう?」とも考えていた。この考えは全てとんだ勘違いで、彼女は本気でカントリー・ガールズを育てようとしているんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

カントリー・ガールズは、なんだかあまり話題にならないが、割と激動の中を生き抜いてきたグループだ。これまでに5枚のシングルをリリースしているが、4枚目まで毎回参加メンバーが異なっている。アイドル界を巻き込んでフィーバーを起こした島村嬉唄の脱退、ハロプロ研修生として叩き上げられた小さな巨人たち梁川奈々美船木結の加入、圧倒的なスキル・センス・あざとさを兼ね備えた稲場愛香の志半ばでの卒業、約2年はずっと落ち着かないメンバー構成だった。個人的には5枚目『ピーナッツバタージェリーラブ』の発売時に、ようやく前回のシングルと変わらないメンバーで曲が出せたと感慨深いものであった。

他のグループで、このペースでの脱退加入劇が繰り広げられたら、少しは暗い空気が漂うものであると思う。しかし、彼女たちは笑顔で居続けた。「かわいい」を続けてくれた。「嗣永塾」と揶揄されようが、トークスキルを高め、揺るぎないカントリー・ガールズの色を作り上げてくれた。やはりそれは、圧倒的に嗣永桃子の力なんだと思う。

そんな彼女が、卒業そして引退を発表した。もともと大きくなるのを見届けるためのグループ加入であったということも明言した。私はいろいろな思いが巡った。彼女が加入時に「アイドルとしての第2の人生を」と言っていたのは何だったのか。第1の人生が10年以上だったのに、第2の人生は2年そこそこで終えるのか。彼女の顔には迷いはなく、私は受け入れざるを得なかった。

だって、私はずっと見てきた。彼女がカントリー・ガールズを心から愛し、彼女が努力を惜しまず積み上げてきたアイドルとして得たものを、惜しみなくメンバーたちに注いできたことを。彼女がそこにいなくても、嗣永桃子のイズムがそこに生き続けることは、考えなくても分かることだった。

 

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という文章を、5月20日に行われたカントリー・ガールズのコンサートを見終えた後に書き殴りました。

書いていたときから、桃子の卒業公演の後に公開しようと思っていたので、とりあえず溢れる気持ちをメモ程度に書いていました。このときに考えていたオチは嗣永桃子の愛したカントリー・ガールズを、これからも応援していこう。そんな内容だったと思います。

 

でも。

 


ハロ!ステ号外 ~ハロー!プロジェクト2017新体制決定スペシャル~

カントリー・ガールズの今後の活動について|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

 

何が起きたのか分からなかった。

ほんの10日ほど前に、私は『カントリー・ガールズは、なんだかあまり話題にならないが、割と激動の中を生き抜いてきたグループだ。』と書いたばかりだった。カントリー・ガールズはその“ももちイズム”ゆえにいつも明るく笑っていて恵まれていると思われがちなことが不満だった私にとって、嗣永桃子が卒業したあとの5人でつくるカントリー・ガールズが、なによりもなによりも見たかったものだった。5人が喪失感を乗り越え、私たちにまた新しいものを見せてくれる。「ももちのグループ」「ももちがいるから」「ももちがいたから」と言われ続けた彼女たちが、ようやく自分たちの手で見返すことができる。そしてそれを、誰よりも嗣永桃子が待っている。嗣永桃子の待ち望んだ世界が、ようやくやってくる。私は心の底からそう信じていた。

5月20日のコンサートで、桃子の口から聞いた言葉は、一体なんだったのか。そのときは何も決まっていなかったのか。考えてもしょうがないことを、ずっと考えなくてはいけないのがつらかった。

 

一番悔しかったのは、「嗣永桃子が卒業した後のカントリー・ガールズが立ち行かないことを事務所が危惧しての処置」だと思われたことだ。私は事務所が言い訳のようにきれいに並べた「ハロープロジェクトの活動をより精力的に行うため」という理由を、心の底から信じている。カントリー・ガールズハロープロジェクトキッズのイズムがしっかりと染み込まれてしまい、それをカントリーの中だけに閉じ込めておくのはハロープロジェクトとしてもったいないという考えで、移籍・兼任制度をとったのだと、純粋に思い込んでいる。

この3ヶ月は、しんどかった。

カントリー・ガールズが実質解体となり、移籍先のグループが発表され、桃子のラストコンサートが行われ、終わるとすぐに夏のハロコンの準備が始まり、新たなグループの一員としてきちんとパフォーマンスを返すカントリーの子たちを見る一方で、無情にももちイズムのライブDVDが届いた。自分でもなにをいっているのかわからないが、とにかくこの3ヶ月は気持ちの浮き沈みが激しくて、自分がなんでこんな思いをしながらハロープロジェクトを応援しなくてはいけないのか、本当にわからなくなりそうだった。

そんな気持ちを抱えて、私は8月19日に中野サンプラザで行われたハロコンに参戦したのである。

 

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理想は、ハロコンの現場を見たことで、これまでのもやもやに区切りをつけ、「やっぱりハロプロ最高!!一生ついていくぜ!!!!!」と思えることだ。

しかしそんなに現実はうまくはいかない。

コンサートは、とても楽しかった。

私の推しメンである梁川奈々美さんが2年間封印していた前髪をおろすという後のハロプロ史に残る歴史的ないわゆる“確変”を遂げてしまったことで頭の中を「かわいい」が埋め尽くしたということもなくはないのだが、もう100%純粋に楽しむことは、できなくなっているのかもしれないと考えてしまった。

コンサート自体は、とても楽しかったのだ。兼任メンバーの活躍も目覚ましいし、それによって兼任先のグループもとても面白くなっている。良い刺激を与えあって、とても良いパフォーマンスを見ることができている。

でもその輝きが増せば増すほど、カントリー・ガールズの犠牲から目をそむけられなくなって、心が締め付けられるのだ。

5人のカントリー・ガールズのパフォーマンスが頼もしければ頼もしいほど。

Juice=Juice、アンジュルムモーニング娘。のパフォーマンスが素晴らしければ素晴らしいほど。

このあいだに存在する矛盾をうまく消化しきれず、もやもやしてしまってしょうがないのだ。

 

 

期待していた荒療治は、成功しなかった。ただ失敗でもないと思わなくてはやってられない。今回の夏ハロコンは、1回目ということもあってか、割とカントリー・ガールズを優先してくれるセットリストだった。おそらく本当につらいのは、これからだ。

いつか、カントリー・ガールズがまたカントリー・ガールズの活動だけになったりしないだろうかと甘いことを考えて、「それでは移籍先のグループを騒がせただけになってしまうじゃないか」と考えて落ち込む。ハロープロジェクトが好きだからこそ、やりきれない。

 

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この騒動の中でよくしれっと発売できたなと思ったコンサートツアー『ももちイズム』の映像ですが、このカントリー・ガールズは本当に素晴らしい出来でした。客席もサイリウムがカラフルに光って、桃子のラストツアーではあるものの、偏りすぎることもなく、だからこそ当時、これからのカントリー・ガールズには未来しかないと思っていました。でもだからこそ、これはカントリー・ガールズの敗北ではない、と胸を張って言えるのです。

もう、新しいハロープロジェクトは始まってしまいました。泣いても泣いても、新曲は出るし、映像も出るし、コンサートも行われます。夏ハロコンでは彼女たちの代表曲「愛おしくってごめんね」の振り付けが一番最初の5人オリジナルバージョンに変更となっていました。具体的には、サビの最後に5人がバラバラに手をあげるという振りです。私はこの曲を見たときに、3年前に嗣永桃子以外の5人で披露した「愛おしくってごめんね」の衝撃を、思い出しました。『5人組』で始まったカントリー・ガールズが、また『5人組』で再出発した、そんな風に感じました。もはややけっぱちのような文章なんですけど、何があっても私はカントリー・ガールズをいちばん応援したい気持ちは変わりません。だから、私は願うしかないんです。彼女たちが幸せで、楽しんで、笑顔でハロープロジェクトのアイドルを続けてくれることを。きっとそれが、嗣永桃子が私たちに期待することでもあるだろうから。


小生意気ガール(ショートVer.)/カントリー・ガールズ

 

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そして、あまりにカントリー・ガールズのその後が激動すぎて、桃子の卒業をきちんとお祝いすることができていませんでした。嗣永桃子という人がハロープロジェクトのアイドルをしている時代に、ファンとして応援することができたのは、とても幸せなことです。落ち込むとき、彼女が「カントリー最高!」と叫んだ声を思い返します。だからこそ今の状況が悔しいのではあるけれど。でも、きっと彼女も、このもやもやを感じながらも『小生意気ガール』の歌詞を覚えようとリピートして聴いているはずなので、私は嗣永桃子の愛したカントリー・ガールズというこのグループを、ずっとずっと応援していきたいと思います。*1

*1:期せずして、もともと想定していたオチと同じところに着地したので一件落着・・・か?

ついに『わかっているのにごめんね』が完成した~カントリー・ガールズ バレンタインイベント 「CG VD ~S.C.N~」イベントVを観て

私が世界で一番愛しているアイドルグループ、カントリー・ガールズが今年の2月に行なったバレンタインイベント「CG VD~S.C.N~」が映像化したのでさっそく購入しました。

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www.elineupmall.com

カントリー・ガールズは昨年より新体制として学業を優先にする専任組と、ハロープロジェクトの他のグループに兼任移籍してアイドル活動を優先にする兼任組にわかれているので、グループとしての活動はハロープロジェクトの合同コンサート(年2回)と単独イベント(およそ年3回)とかなり限られていて、このイベントのチケットも高騰したようです。もっと活動すればいいのに。

私は昨年11月のイベントには這うようにして参加し(妊娠初期だった)、2月のイベントが知らされたときも「多分無理……」と諦めていたので、こうして映像化していただけただけでも有り難やという感じだったのですが、一般流通に乗らないのはやっぱり切ないですね。買わないことには始まらないので買うんですけど。事務所への意思表示として買うんですけど。

さて、そういうわけで世間は6/12に行われたカントリー・ガールズ新体制後3回目のイベント『皆好き!』で賑わっている中、周回遅れ感は否めないですが、『S.C.N』を観て思ったことをまとめておこうと思います。


カントリー・ガールズ DVD MAGAZINE Vol.12 CM

昨年11月に行われた新体制後初のイベント『みんな元気してた?』(タイトル煽りがひどすぎる)では、メンバー自身も複雑な心境を隠しきれておらず、特に兼任組の3人に関しては、最後のMCやパフォーマンス中に涙する様子も見られました。専任組がニコニコしていたのが救い。事務所様はこういうことがしたかったんでしょうか?

今風にいうとあまりに人工的なエモさ。これがしんどくて実は購入したDVDもリピートして見ることができていないのですが、『S.C.N』では昇華されたのか、晴れ晴れとした5人の姿を見ることができてほっとしました。個人的にはアイドルの涙にぐっとくるタイプではあるものの、彼女たちが引き継いだ嗣永桃子の「人を感動させたいなら自分は泣いてはいけない」という教えは、あながち間違っていないのかもしれないと改めて考えさせられました。

なので、今回のイベントVは全体的にカントリー・ガールズのパフォーマンスの素晴らしさ、計算されたMCクオリティの高さが無理をせずに楽しめるような作品になっています。このブログでは1曲1曲の感想を書いたりするつもりはなくて、その中でも1つ印象に残った曲があったので、その曲について振り返ってみたいと思います。

カントリー・ガールズの2枚めのシングル曲『わかっているのにごめんね』です。


カントリー・ガールズ『わかっているのにごめんね』(Country Girls[I know but I'm sorry])(Promotion Edit.)

カントリー・ガールズの歴史は波乱万丈で、大絶賛されたファーストシングル『愛おしくってごめんね』で彗星のごとくヲタクの心を奪っていったエース・島村嬉唄が活動期間半年あまりで脱退してしまうという大事件が起きます。その頃のハロプロは、ヲタクだけでなくメンバーすら「うたちゃんうたちゃん」とうたちゃんを持ち上げていたので、この衝撃は凄まじいものでした。むしろ他の子ってどんな子たちだっけ?ぐらいの印象だった記憶があります。そんな中で発表された2枚めのシングルは、『愛おしくってごめんね』につづく『ごめんね』縛りで、完全に呪縛から逃れられないといったような印象を与えました。しかもまぁこの曲、クセがすごい。いきなりセリフから始まり、小コントを挟みながら展開し、最後ももちろんセリフで終わります。「かわいいだけでなんとかなる、か?」というコンセプトを体現するかのような1曲めからのギャップは大きかったです。『愛ごめ』から期待していたけど、離れたという人も多かったはず(当社比)。

そんな『わかっているのにごめんね』の何がそんなに引っかかったかというと、小芝居の複雑さだったと思います。森戸知沙希・小関舞の男女コンビ、山木梨沙稲場愛香の同級生コンビまでは良かったのかもしれない。嗣永桃子の謎のおばあちゃん姿に当時のヲタクはどんな気持ちで受け止めればいいのか戸惑ってしまったのでした。個人的には「うたちゃんがいた場合」の想像もして、まったくイメージが沸かずどこか消化不良な気持ちになったりもしました。そんなヲタクの不安な気持ちをよそに、『わかごめ』はカントリー・ガールズのライブ定番曲としてパフォーマンスされていきます。

2016年には、稲場愛香の卒業、梁川奈々美船木結の加入によって、同級生コンビが3人(山木・梁川・船木)となり、よりややこしい小芝居のパート分けになりました。


カントリーガールズ - わかっているのにごめんね

もともと2人組前提で組まれていた同級生コンビに無理やり3人をねじ込んだかたちになるので、どうにも1人が入りきれていないような印象があり、イマイチだなぁとずっと思っていました。

そんな『わかごめ』が、嗣永桃子の卒業後はじめて、シングル発売時の5人体制になってパフォーマンスされたのが、『S.C.N』でした。


カントリー・ガールズ - わかっているのにごめんね

ハロープロジェクトの公式Youtube番組『アプカミ』では各グループのライブ映像を公開したりするわけですが、『S.C.N』公演後に公開された映像は、当時新曲だった『書いては消してのI love you』ではなく何故か『わかっているのにごめんね』でした。新曲のプロモーションすらも下手くそかと思ったものですが、今回イベントの全編を観て、その理由がわかりました。この曲、今回のイベントで圧倒的に完成度が高いんです。森戸・小関カップルの安定感、梁川・船木の同級生コンビがようやくコンビの枠に収まり、山木がおばあちゃん役に昇華。やっぱりこの曲は5人組が歌うために計算しつくされた曲だったんだと思います。当時嗣永がおばあちゃん役になることによって「いや、確かに年齢離れてるけどそんな露骨に……」と思わせましたが、山木だとその自虐感は薄れました。しかも、これが彼女のバラエティスキルの高さだなぁと思うのですが、セリフが浮いてないんですね。このセリフをこんなに上手に演じられる20歳のハロメンが他にいるでしょうか?

カントリー・ガールズの曲でライブで盛り上がる曲といえば正直『浮気なハニーパイ』『革命チックKISS』など、カントリー娘。時代の曲が多いです。カントリー・ガールズ名義の『妄想リハーサル』なんかもとても盛り上がるのですが、シングル曲ではないということが足かせになります。そんな中、圧倒的に盛り上がる定番曲に『わかっているのにごめんね』はなったんです。オルゴール調の優しいイントロが流れると、とてもほっとするようになりました。これが5人のカントリー・ガールズの完成されたかたち。円周率を叫ぶとき、私はカントリー・ガールズのファンで良かったなぁと思うのです。

東大附属病院の和痛分娩クラスを受けてきた

我が家の近所の産婦人科では妊婦健診はしてくれるけど分娩はできないので、セミオープン連携している東大附属病院で分娩予定である。妊娠6ヶ月の健診で一度東大で診てもらって、だいたい34〜36週まではまた地元の病院で診てもらえる。個人的には地元の病院がすごく好きなのと、当たり前だけど近いのでその恩恵にあずかっているが、うっかり東大病院に診てもらった前回の待ち時間(予約していたものの1時間以上待った)に慄き、セミオープンシステムさまさまである。

分娩予約戦争に負けたので分娩予約制限をしていない東大附属以外ほぼ選択肢がなかったのだが、もともと気になっていた理由が「無痛分娩(和痛分娩)をしているから」というところも大きくて。東大附属はただでさえ分娩費用が高くてつらいのだが、どうせ高いなら開き直って恩恵にあずかりたいな…ということもあり、本格的に和痛分娩を視野に入れていた。

東大病院の和痛分娩はすべて計画分娩ということで、里帰りをせずに母親が故郷から1週間ほど休みを取って来てくれるという身としては、なるべく計画的にうめると都合がいいか〜とも思っていたのだが、あらためて調べてみると「和痛分娩は良いけど、計画分娩(とくに初産)はどうか?」という医学的指摘があることを知った。

 

無痛分娩のすすめ

無痛分娩のすすめ

 

 

痛くないお産麻酔分娩がよ~くわかる本―周産期専門の麻酔科医に聞く

痛くないお産麻酔分娩がよ~くわかる本―周産期専門の麻酔科医に聞く

 

 

我が家は二人とも実家が遠方だし、基本的に二人で育てていかなくてはいけないこともあるので、体力的な不安から基本的には和痛分娩にしたいものの、初産の計画分娩自体がどうなのか…という不安が出てきてしまってからは、今回は諦めたほうがいいのかなぁなんてことを考えていたところで、ちょうど和痛分娩クラスの機会がやってきた。

東大附属はクラスを受けて同意書を出さないと和痛分娩にできないので、気持ちは定まっていなくても、とりあえず興味があるなら聞いておいたほうがいいと思う。受講料は2,160円。旦那さんも参加可能で、料金は変わらない。

3月は休みを取りやすいのか、60名くらいが入る教室にいっぱいいっぱいの人が入っていた。驚いたのは男の人の多さ。1/3以上は夫婦で参加していたように見えた。今回はギリギリ椅子が足りていたが、足りなかったら当然妊婦さん優先なので、とくに若いうちの夫氏は「席足りなかったら立たなきゃ」という使命感に燃えていた。

クラスでは、硬膜外麻酔に関する基本的なこと、計画分娩について、それらのリスクなどを産科の先生がスライドをもってサクサクと説明してくれる。スライドは配られていて、ときおりメモをしたりしながら聞く。この先生の説明がとにかくわかりやすかった。さすがお医者さん、頭が良い…(当たり前)という印象。大学病院の先生というと必要以上にドライな印象もあるが、むしろサクサクした受け答えが印象が良くて安心した。20分近くでスライドの説明は終わり、残り20分くらい質問の時間。わりと活発に質問がされていて面白かった。旦那さんも積極的に質問している。私は費用のことがやはり気になったのだけど、少し気恥ずかしくて聞けなかった。あらためて看護師さんや助産師さんに聞こうと思う。。。

気になっていた計画分娩については、私自身誤解していた部分があって、手術をできる日が決まっていてそこに合わせて陣痛促進剤等を使うのかと思っていたのだが、だいたい37週くらいから子宮口の開きを見ていき、2〜3cmになったら入院日を決め、促進剤を使っていくとのことだった。子宮口もむりやり開くのかと思っていたので、赤ちゃんの意思は…とか少しだけ思っていたのだが、それならあまり気にするまでもないかなぁという気になった。残るは費用のみ。ちなみにだいたい平均プラス10万とのこと。東大附属はそもそも元値が70万超えるので、もはや誤差のような気がしてくる(こわい)。

夫氏はもともと私がしたいように、ということなので、やっぱり選べるなら和痛分娩にしたいなと思った。麻酔によって痛みは収まるもののスムーズに出産するためには上手に力む必要があるとのことなので、どちらにしても上手にうめるように努力はしておこうと思った。とても良い経験だった。

ちなみに、受講料の支払いは普通に総合受付の支払機で行うので、受付はする必要があるらしい。ママノートには直接会場に来いと書いてあったように見えたので直接行ったが、事前に受付を済ませてそのまま最後に支払うということもできるみたい。まぁ直接行っても「帰りに受付で支払い票もらってくださいね〜」と言われるだけなんだけど。普段が大学病院通いじゃないのでなかなかシステムに慣れない。あの極限までシステム化された受付は、ちょっと面白くはあるんだけども。

山手線で幸せを見つける女

劇団雌猫『悪友 vol.3 東京』を地元に帰る飛行機の中で一気に読みました。妊娠してから感覚が変わってしまって、1ヶ月くらい本が読めず、それはそれで辛かったのでそろそろ復帰したいなと思っていたときに飛行機移動という格好のチャンス、しかも地元に帰省するとき、ということで温めていたこの本を引っ張り出したわけです。

これまでの『浪費』も『恋愛』も番外編『美容』も、ヒリヒリした気持ちになりながらも楽しく読みました。今回の『東京』は消耗が強そうだな…と思っていて構えて読んだからか、逆にスッキリとした読後感があります。

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やっぱり影響されると黙ってられないので上京経験者なりに、自分なりの『東京』を記しておこうと思う。ちなみに私のヲタク遍歴は二次元(アニメ・ラノベ)→2.5次元(ニコ生・踊ってみた)→三次元(ハロプロ)である。地元にいるときは二次元、上京してからそれ以降にハマった。私にとって重要だったのは『生で見ること』だったようで、この感動はなかなかやめられない。むしろ『生で見られる』ものならなんでもよく、友人の社会人楽団とかでも心の底から感動して楽しめる自分に自分で驚いたりもする。

私にとってはじめて触れた東京は、ラノベヲタク時代の高校生のときに、部活で全国大会に参加するために出てきたときだった。『デュラララ!!』が好きで仕方なかった私は山手線の『池袋・新宿行き』というネオンを見るだけで高まった。新宿なんて歩いているだけで折原臨也に操られているようで幸せだった。私は絶対に東京に住みたいと思った。こんな妄想が現実になるかもしれない街で暮らせないとどうにかなってしまうと本気で思ったのだ。

念願叶って私は東京の大学生になった。地元時代は古き良き二次元ヲタクだった私が、上京してハマってしまったのはなかば嫌悪していたニコニコ動画だった。古き良きヲタクの私は、コンテンツを提供するのはプロの仕事で、素人が真似しても恥ずかしいものだと思っていたのだが、大学生は本当に暇でパソコンしか友達がいない(私の性格もあるだろうが)。そしてここから私の本当に好きなものがわかることになってしまうのだが、ニコニコ動画に出ている素人パフォーマーたちにはすぐに会いに行くことができたのだった。手の届く位置にあると人は手に入れたくなるのか。私は地下の劇場に通った。東京が好きな理由は、車を持っていなくても身一つで好きな場所に行けることだ。好きな場所に行ければ、好きな人に会える。選択肢が多いことは、割と意志の強い私には都合が良かった。

そんな大学生活を終え、社会人になった今現在、主な現場はハロー!プロジェクトのアイドルになったが、肩書は既婚者になり、予定ではこの夏、母親になる。夫は東北の出身で、私は九州の出身なので、二人とも上京していなければ出会うこともできなかった。そんな私たちの子どもは『東京出身』になる。たまたま山手線内に住んでしまっているから、この子は生粋の都会人として育つことになるのだ。私は都会人の親になれるのだろうか?それが最近の専らの心配だ。「電車で30分とか遠いわー」とかいう子どもになってしまうに違いない。まぁ私も言ってるんだけど。

上京してもう丸8年になる。もう東京に恋い焦がれていた地元時代も思い出せないのだが、未だに東京が大好きだし、特に今自分が住んでいる街からは一歩も外に出たくないと思っている。私の幸せはやっぱりここにあったんだなと胸を張って言える。いつか子どもが「東京以外のどこかに行きたい」と言ったときに、その欲を肯定して、気持ちよく送り出せる親になることが、今の夢だ。

相川茉穂ちゃん

2013年の冬からじわじわとハロー!プロジェクトのファンに戻った私は、年単位でゆっくりじっくりと『推し』の数を増やしていきました。

スマイレージ時代は正直誰を応援しているわけでもなく、言うならば箱推しアンジュルムへの増員改名も、増員自体は肯定的でしたが、改名は1mmも理解できませんでした。アンジュルムになってはじめてのシングル、大器晩成のインパクトはそれはもう強く残っています。華があって研修生時代から有名だった佐々木莉佳子ちゃん。抜群のパフォーマンスでデビューシングルからソロパートを掴んだ室田瑞希ちゃん。そして、どうしてその二人と並んで加入することになったのかよくわからない相川茉穂ちゃん。アンジュルム3期への最初のイメージは、そんなものでした。

大器晩成が発表された当初、私はまず室田瑞希ちゃんに惹かれて、いままでにない前のめりな気持ちでアンジュルムというグループを追いかけていたことを覚えています。気持ちが強く変わったのは、9人体制になって2枚目のシングル、3期がフィーチャーされた『魔法使いサリー』を見たときでした。

アンジュルム『魔法使いサリー』(ANGERME [Sally the Witch]) (Promotion edit) - YouTube

それまで、佐々木莉佳子ちゃんのようなエースでも室田瑞希ちゃんのようなパフォーマーでもなかった相川茉穂ちゃんのはじめてのきちんとしたソロパートで、私は彼女の声にどうしようもなく惹かれました。おっとりしたいかにも“綺麗なお姉さん”という声。歌が特別上手なわけでも、顔が特別好みなわけでも、ぜんぜんないのに、好きになってしょうがありませんでした。これまで私が好きになってきた女の子たちは、歴史に名を刻むほど歌がうまかったり、世間一般にはどう言われようと、私の感覚しては世界でいちばん可愛かったり(そういうことがよくある)、そんな子ばかりで、かつ、エース級といわれる子が多かったのですが、そんな中であいあいみたいな女の子をこんなに好きになるなんて、自分自身ぜんぜん想像していなかったわけです。あいあいが私の中でそれまでと違ったのは、「どうしてこんなに好きなのかわからない」という感覚を教えてくれたことです。今思うと、あいあいはとても愛に溢れている人で、その愛を伝染させられる魅力のある人だったのかなぁなんて思います。

アンジュルム 「夕暮れ 恋の時間」 Live HD - YouTube

あいあいはスマイレージが大好きな女の子でした。決してもらえるパートは多くないし、アンジュルムになってカッコいい、強い曲が多くなる中で、この子はスマイレージイズムが流れているんだなぁと思ったことが何度もなんどもありました。

アンジュルム『愛のため今日まで進化してきた人間 愛のためすべて退化してきた人間』(Promotion Edit) - YouTube

そんな中であいあいはパフォーマーとしてもこつこつと成長し続けて、もともと安定していた歌声で長尺のソロパートを掴み取ったし、卒業した田村芽実ちゃんのパートを引き継いで、頑張ってがなり声を出そうとしている姿にも心を打たれました。あいあいはきっともっと成長してくれるし、もっともっと美しい姿を見せてくれる。そう思っていました。

ニュース詳細|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

どうやら、あいあいが体調不良らしいということは感じていました。この時期は自分のプライベートの用事が忙しく、現場絶ちしていた頃だったので、映像やコメントで知るしかなかったので、私は結局2017年に一度もあいあいの姿を見ることができませんでした。それでも、アンジュルムのことが好きな彼女は戻ってきてくれる、なにより本人がそう言っているのだから、私は待つ、そう思いました。

ニュース詳細|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

当然、簡単な病気なのではないわけだから、年単位で待つことも覚悟しているし、それでもあいあいが戻ると言ってくれたなら私は何があっても受け入れるし、絶対に戦う、そんな気持ちでいました。

一方で、進化し続けるアンジュルムハロー!プロジェクトの波に、本当にあいあいが戻って来られるんだろうかと不安になることも増えてきました。パニック障害のような病気が『完治』するのだろうか? また舞台に立つことができるのだろうか? 私たちは、彼女の負担にならずにいられるだろうか? 不安な気持ちが日に日に大きくなっていくのを感じました。

ニュース詳細|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

正直、いちばん最初に感じた思いは「もう待たなくていいんだ」でした。それほど疲れてしまっていたのかと、冷静に自分を確認しました。それと同時に、7月の発表でもそうでしたが、あいあいの症状が快方に向かっていて、大好きな写真のことを勉強しながら大学にも通えているというのが本当に本当に嬉しくて、あいあいがどこかで幸せに生きていてくれるのなら、こんなに良いことはないじゃないかと素直に思えたのも事実です。できることなら、その姿を見ていたかったと思うのですが、そんな女の子の大事な一生を、ただのファンのエゴで潰してはいけない、そう思うから、私は大丈夫です。

最後まで、あいあいはたくさん迷っただろうし、不安もいっぱいあったと思う。でも、やっぱりあいあいは優しい人だから、私たちのことを解放してくれたのかなとそう思います。

アンジュルムとして活動させていただいていた期間、とても幸せでした。

本当に最後の最後まで優しい子だなぁと思います。そんなこと思ってくれているだけでとても嬉しい。あいあい、ありがとう。本当に本当に大好きです。いつまでもあいあいが幸せでありますように!

【カントリー・ガールズ】書いては消しての“I Love You”の歌詞&歌割予想

はじめに

カントリー・ガールズが何の前触れもなく12/24に突然新曲を配信しました。事務所様には言いたいことが散々あるんですけれども、パフォーマンスをしているカントリー・ガールズ、そして楽曲を提供していただいたヒャダインさんには何の罪もないので、純粋な気持ちで新曲を応援するために、歌割厨として歌詞の書き起こしと歌割予想をしました。勢いでやったが後悔はしていない。間違いは随時修正予定です。

 

書いては消しての ”I Love You”

書いては消しての ”I Love You”

 

 

 

歌詞&歌割

山木梨沙

森戸知沙希

小関舞

梁川奈々美

船木結

ゆにぞん

で色分けしてます。 

 

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この時代 お手紙なんて 古いではないかしら?

拝啓とかカタイかな

ひそやかに温めてきた 想いをしたためます

もうかれこれ5,6時間

 

いつもいつもこっそり 目で追いかけた

もしかしたら ほんとは 気づいていますか?

言わなければただのクラスメイト…

嗚呼 この胸はちきれそうよ

 

お手紙 I Love You(I Love You!)

正々堂々 I Love You(I Love You!)

文字にするだけでも 紅くなるわ

書いては消してを また繰り返す

時間ばかり経ってくの

正解 教えてください

漢字にするかな?

重くなるかしら?

いっそやめちゃおうか?

My First  I Love You

好きです!

 

授業中 目で追いかける あなたの後ろ姿

振り向いてくれないかな?

休み時間 近くにいても 軽口叩けないの

うろちょろと右往左往

 

お昼ご飯食べたり 忘れものしたり

他の全て なにも変わらぬ日常

机の中隠した この想いは

嗚呼 今日も出番知らずね

 

お手紙 I Love You(I Love You!)

正真正銘 I Love You(I Love You!)

クシャクシャにしては 降り出し戻る

いったりきたり まるでやじろべえ

あなたの気持ちを知りたい

知りたくないかも でもでも知りたい

 

好き、嫌い、好きって ずっと花占い

ああでもない こうでもないって 堂々巡り

切なすぎて 涙が溢れ出すの

あなたは今 何をしているのでしょう

ああ…月が綺麗ですね

 

お手紙 I Love You(I Love You!)

誠心誠意 I Love You(I Love You!)

愛はこんなに苦しいものなの?

声に出して 伝えたいわ

あなたの目を見て 「前から、ずっと…!

やっぱり言えない

言えるわけないわ

一文字一文字

My First I Love You
好きです!

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感想

めっちゃいい……

めっちゃいいよヒャダイン……

NHK『SWITCHインタビュー』で公開されたこの曲のレコーディング中の風景から、ヒャダイン自身がかなりメンバーのテンションを高めて、メンバーそれぞれの個性を活かしてパート振りしたんだろうなというのが伝わってきていましたが、そのとおりの想いのこもったすごく良い歌割だと思いました。

ていうか、カントリー・ガールズみんな歌うまくなりすぎでは??? 兼任組はもちろん、山木小関も遜色ないクオリティで、「あぁこれがカントリー・ガールズだな」と安心して聴けます。親バカぽいので真剣に評すると、みんな滑舌が良くなっていて「あれ、聞き取れるぞ……?」と感動してしまいました。その感動が行動に至っています。メンバーの発音が良くなったのもあるけど、そもそもが聞き取りやすい歌詞でもあるんだろうなと思い、本当にありがとうヒャダイン、ありがとう前山田健一様。そんな気持ちです。

歌割に関していうと、ほぼ間違いないと自信があるのですが、大サビの『伝えたいわ』と最後の『好きです』がちょっと迷いました。『伝えたいわ』は正直ちぃにしては上手すぎるような気もしなくもないのですが、最近のちぃの高音の伸びは素晴らしいのと、最後の聴かせる良いパートなのでナチュラルボーンセンターもりとちかなと判断しました。

そして最後の『好きです』は……パッと聴いた感じだとちぃなんですよね。あの、みんな大好きな耳真っ赤ちぃちゃんが照れながらの『好きです///』感がすごい。でもその前からの流れを考えると「あれ、ちぃが二人いる……??」となるわけです。というわけで声の可能性と推され具合から判断して、ここは船木が妥当かなと予想しました。推され具合がポイント。ちぃは1番で言ってるし。この1番の『好きです』は、いつものちぃじゃなくて、それこそ色気のあるちぃでこれも素晴らしいです。ありがとう前山田様。

とりあえず、本当に本当に良い曲をありがとうございます。これで溜飲を下げたり絶対にしたくないけど、パフォーマンスは心から楽しみにしてます。私は!!やじろべえに!!!!なりたい!!!!!

最高の「観客」としての人生

友人の所属している楽団の定期演奏会に行った。彼女がなにかの公演に出るときにはできるかぎり都合をつけて見に行くようにしている。私自身も5歳から18歳までピアノを習っていたし、中学生のときには吹奏楽部に入っていたし、音楽はずっと好きなので、彼女から届く演奏会の知らせをいつも楽しみにしていて、いつも心から楽しませてもらっている。

自分がやっていたこともあって、いろんなことを考えながら見ている。一番大きな感情は「楽しい」で、単純に観客としてその演奏を無心で楽しんでいる気持ちだ。その次に「自分もやりたい」と続く。人生の15年音楽をやってきて、終えるときには正直「もうやりきった」と思った。このさき、趣味ででも続けていければいいかな、ぐらいの軽い気持ちでやめた。その後自分のような人間には趣味で続けることはできないと衝撃的な事実に気づくのだが。

何度か「演奏会見ているとやりたくなるんだよね」と彼女にこぼしたことがある。彼女は「いいよいいよ。やってみよう」と声をかけてくれるが、私はなんとなくそれ以上進む気になれない。

体力が、ない。社会人になって趣味をきちんと続けられる人を、私は心から尊敬するのだが、それはひとえに彼ら彼女らの体力の大きさに圧倒されているのだと思う。彼女も私から見ると非常に体力があって、いつでも羨ましい。

私は長年無趣味であることがコンプレックスだった。もう少し正確にいうと、無趣味であると自覚していることが、コンプレックスだった。周りから見れば、私もそこそこアイドル鑑賞を続けているし、本も読むし、わりと趣味を嗜んでいる方だと、今ならわかる。だから「無趣味である」こと自体に思い悩むことはしなくなったのであるが、もう少し鮮明にわかったことがある。私は、私自身に体力がなく、動の趣味を続ける才能がないことを、嘆いているのだ。

ざっくりであるが、物事にはだいたい静と動があって、それは趣味にも適応されると思う。私が長く続けられる趣味はほとんどが静のものであって、動で続けられることを趣味として(つまり習い事や部活などの強制されるもの以外で)続けられることができないということに気づいてしまったのだ。これは、ただ単にいま音楽を復活させられないからというだけで決めつけているわけではなくて、この数年間の間にも何度か興味のあることを続けたことがあるのだが、それが続いた試しがないのである。とくにクリエティブなことは本当に続ける才能がなくて、編み物も縫い物も粘土細工も、全部1回で興味がなくなった。私にはなにかを続ける才能があまりないのかもしれない、と思うのだが、アイドル鑑賞と読書はかろうじて続いている。

話がぐるっと脱線してしまったように感じられるので戻すと、今回も演奏会を見ながら、何度も舞台に立つ緊張感や演奏をやりとげる達成感を思い出したのだが、「じゃあまたやりたいか」といわれると、自分の中でしっくりこない気持ちになる、を繰り返していた。ではどうして見るのは好きなのか、聞くのは好きなのか、シンプルに考えると、私はやはりこういう演奏会や劇、舞台、コンサートなどに生で触れることは非常に好きなのである。見ず知らずの大人たちや子どもたちが目の前の音楽に真摯に向き合って、一つのものをつくりあげているときに、心から感動している自分がいる。私の人生は演者から始まっているので、自分はすっかり目立ちたがりで、やりたがりなのだと思っていたし、今もそういうところがあるのではないかと疑っているのだが、どう考えてもここ5年単位で、観客としての自分のポテンシャルを感じてならない。今日そこに思い至ったときに、なんとなく自分の中で腑に落ちたのである。

さぁ、気づいたは良いものの、私は私自身のこれからの人生が「最高の観客としての人生」だと歓迎できるかと聞かれると、やや複雑な気持ちになっている。見ているだけで満足できるかというと、そうでもないのだ。では私は一体どうしたいんだろう? もう少し、いろんな社会を勉強しながら考えていくしかないのかもしれない。

ちなみにこのブログの前につくっていたブログのタイトルは『きっと誰かが主人公』であった。我ながら皮肉なタイトルであることよ。

誰にも見せないメモアプリに蓄積される過去の私たち

愚痴を垂れ流すのがやりたいことじゃないなと思って沸点に達した感じがしたら『瞬間日記』という鍵付きのアプリに書き込んで忘れるようにしている。一時期は少ないフォロワーでも誰かが見ている環境で愚痴るのがストレス発散になっていると自分では思っていたので、こうすることでストレスが晴れなかったら嫌だなぁなどと思っていたけれど、案外文字にするとスッキリするもので、ここ数年はなるべく実生活の愚痴はアプリ任せにするよう心がけている。私のツイッターでの愚痴はアイドル関係ばかりだ。

これはパンドラの箱のようなもので、アプリを起動したらまず投稿画面が表示され、そのとき思い至った愚痴を入力するまでこれまでの愚痴の羅列を見ることはない。普段はカッと打ち込んで、そのあと過去のものなんか見もしないでアプリを落としている。ひとつひとつを読み直すと過去のことであっても不愉快になるに決まっているからだ。

そういうわけで、読まないことにすると決めていたのに、今夜はなんだか気が変わって、昔の愚痴を読み直してみた。とはいえ毎日書いていることもないので10個ほどで数ヶ月分遡れる。

驚いたのは、書いた内容がどんな出来事に紐付いて、どんな事件だったのか、まったく思い出せないことだ。あまりに見事な嫌味のような文章に「よくこんな表現思いついたな」と感心することはあっても、それがどんな感情だったのかをあまり鮮明に思い出せない。

私は粘着質な人間なので、負の感情を持ち続ける方だと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。あまり深追いせず、眠ることにする。とりあえず、愚痴は貯めない見せない文字にする。そういうことである。