かわいいとおいしい

そのために生きている

マイブームはミツカン黒酢(ぶどう味)の牛乳割り

さすがに太りすぎたのではないか?そう思ったのは数年ぶりにユニクロに出向き購入したエクストラファインメリノクルーネックセーター(白)を着て鏡の前に立った時だった。どうにもおかしい。GUで買った今季流行るというベロアスカート(桃)に白のメリノセーター(この呼び方でいいのかわからない)を合わせる完璧な計算が、何かに拒まれている。それは私の立派な二の腕であった。

そこから不思議なもので、今年始めに挙げた結婚式にも痩せきれなかった(自称下半身ぽっちゃりであるため衣装で脚は隠れるという作戦だった)この私が、ほぼ一ヶ月、お風呂あがりの二の腕引き締め体操と肩甲骨体操を続けている。多少変わったと喜んでいたものの冷静に見るとあまり成果はないようにも見えるので道のりは長い。

私もこれまで生きてきて何度か美容ブームが訪れたものであるが、今回は健康ブームも同時にやってきた。食べるのが好きなので食べることを我慢するのが論外で、お米を食べられないくらいなら毎日走った方がマシである。実際に走らないので何にもならないのだが。そんな私が健康と美容を極めようとすると、大概マッサージに始まり、それ関係の商品に手を出してみたりするわけで、今回のターゲットは『ミツカン黒酢』だったというわけだ。

「なんとなく健康に良さそうだし」というノリでまずはストレートタイプを買ってみたところ、夫氏と2人家族の我が家では3日と持たなかった。自信が出てきたので700mlの濃縮タイプを買ったが、朝晩と飲んでいるとあっという間になくなってしまう。しかも近所のスーパーにも豊富に種類があるわけではなく常にリンゴ酢。飽きるな。そういうわけで我らがアマゾン救世主に頼ってみた。1L近くの黒酢が、味も豊富に、お手頃な値段でそれはもうたくさんある。さっそくリンゴとぶどう味を買ってみた。

テレビに出ていた美魔女は毎日黒酢を飲んでいるのが美の秘訣だといっていた。豆乳や牛乳で割ってみたり、という。思えば私の美容健康浪費癖は母親譲りであり、母も一時期リンゴ酢にハマり、我が家の日課になっていた。その頃は濃縮した黒酢を一杯分のむのが苦痛だったのだが、いまは喜々として飲んでいるのだから、この母にしてこの娘ありということだろう。そんなリンゴ酢には馴染みのある家庭で育った私であったが、黒酢を牛乳で割るなんて文化は知らなかった。私の両親は揃って邪道嫌いなのも関係しているかもしれない。しかし私も最初はお酢を牛乳で割る……?とかなり懐疑的であった。

やはり人間知らないことが多いということはつまらない。牛乳で割った黒酢(ぶどう味)は本当に美味しいし、健康にも良さそうだし、これからも飽きるまで続けていくのだろう。ちなみにまだ体重は1kgしか減っていない。

明日の私が頑張ってくれ

元来、真面目な人間である。

 

私のことをフルフレックスを謳歌した遅出早帰りの人間だと思っている人もいるかもしれないが、私の効率性と察知力の高さを知らないのはある意味幸せなことだろうと思う。確かに私の実働時間はそこまで多くはないが、それ以外の時間で会社のことを考えている時間は、そこそこ長いのではないか。それは私の仕事がいわゆる管理部門、コストセンター、非営業部隊であるから組織や会社のことを考えることが仕事であり、実働以外の頭を働かせる時間が必要とされるからでもあるだろうけれど。

 

そういうわけで、特に何か新しいことをしかけようとしている時期は、こんな時間になっても不安なこと、やりたいことが頭に浮かんでしまって、身体は疲れ果てているのに体温が上がり、ますます寝付けない夜がやってくる。結局この焦燥感は「いまやらないと忘れてしまうかもしれない」という恐れからうまれるわけであって、どうか明日の私に引き継ぎたいと、メモを残すことにした。明日の私が頑張ってくれ。明日の私よ、頑張りすぎないでほしい。

連休が明ける銭湯は玄人が集まる

去年の6月から住み始めたこの町には銭湯がたくさんあって、疲れがたまると銭湯に行ってリフレッシュ、ということが簡単にできるようになった。上京したばかりの頃の私は、生まれ育ったのが温泉で有名な地域ということもあって、東京の『銭湯』という文化が不思議で、源泉でもない熱いお湯に大勢で入って何になるんだろう……と生意気にも思っていた。しかし、やはり染み付いた温泉文化が愛おしかったのか、たかが熱いお湯に入るだけの施設に1回2000円近くかかったとしても、わざわざ1時間近くかかる場所に遠出してまでも、スーパー銭湯なる施設に行くようになるまでそう時間はかからなかった。しかしやはりスーパー銭湯。誤魔化したような湯と、誤魔化しきれない料金がなかなかに足を遠ざけるのは仕方がなかった。

 

しかし銭湯は460円である。組合かなにかに所属しているとかで一律に同じ料金で楽しめる。私の現在の家からは、歩いて通える範囲に5軒は銭湯があり、そのどれもが460円で楽しめるのだ。スーパー銭湯の1/4である。これはこれは、と、この1年はとにかくよく銭湯に通っている。もはや通うという概念でもない。「今日は疲れたから銭湯に寄って帰りましょう」「明日からも頑張るために銭湯にでも行きましょうか」そんな会話がごく自然とされ、銭湯は我が家にすっかり溶け込んでいる。

 

銭湯は面白い。私は基本的に一人を好むし、ざわざわしたところや人が近い空間は得意ではない。銭湯は他人と裸で湯を共有する空間だ。「効能があるわけでもないお湯に他人と入って何が楽しいのだ」そう思っていた時代が私にもあった。しかしそれは違うと声を大にして主張したい。銭湯は楽しいのだ。まず、一人の空間が邪魔されることはまずない。友人や親子で一緒に入浴しており、会話を楽しみながら入浴している人もいるにはいるが、基本的にはそこは誰にとっても共通の『風呂場』であり、パーソナルな空間なのだ。『温泉地』とは違う。とくにこの連休前最後の夜、日曜の夜などもそうだが、基本的に地元の人の割合が増える時間帯は如実にその傾向が強まり、念入りにパックをするもの、カミソリでケアするもの、軽石でかかとをけずるもの……まるで自宅の風呂場のような我が物顔で空間をつかう玄人たちが集まる。その瞬間が私はたまらなく心地よく、おもむろに太もものマッサージを始めたりするのである。

 

正直、銭湯がこんなに好きになると思っていなかった。他人と何かをするのは好きではないほうだし、もはや人間が好きじゃないのかなと思い悩むこともなくはないのだが、銭湯でほかの人の存在を許容しながら、いろんな人生を妄想している自分に気づくと、「私そんなに人間嫌いじゃないな」と思えたりする。こんな人間がいると思うと、人は気味悪がって銭湯に行けなくなりそうだが、どうかそうならないでほしいと思う。とにかく、私にとって銭湯は、自分を許せる憩いの場所なのだ。

報われない足

昔から言っていることだが、衣食住の『衣』への興味が極端に低い。これは昔から母が買ってくる服と趣味が合わなかったとかまぁいろいろ自分でも思いつく理由はあるのだけど、とにかく『衣』を能動的に行うことが少ない人生だった。

 

とはいえ好きな服の系統というものはあるし、似合う服の系統は何なのか、はたまたTPOなんてものにどう立ち向かえばいいのか、実家を出てからの7年でだいぶ進歩したのではないかと考えている。そんな私の最大の敵が、靴だ。

 

思えば靴なんて相場の値段もわからず、実家にいる頃は母がハマった健康靴とやたら相性がいいのをいいことにそればかり履き、なんなら実家を出てからも実家に帰るたびに「そろそろ靴がね〜」なんて言いながら自分では到底手の出せない値段の靴を買ってもらっていた情けない娘である。しかしこの健康靴が非常には着心地が良い。ただし、見た目はそれなりにそれなりの代物だ。それでもそれ以外の靴を履けない(この頃は履いたことがなかっただけ)の私に社会の波は冷たく、「お前は仕事はできるのに服装が幼すぎる」と言われる始末。そんなことで損などしてたまるものかと重い腰をあげ、オフィスカジュアル、ビジネスライクな靴を探し、購入したのであるが、これがまた酷かった。かかとは痛いし爪先は擦れるし筋肉痛にもなる。世の女性はこんな目にあって靴を履かないといけないのか?と思い悩んだ。要するに私の足は過酷な靴に耐えられるほど鍛えられていないのである。結局私は人目を忍んで健康靴に戻るしかなかった。これ以外の靴を履けない(この頃は履いた上で判断できるようになっている)私は、それからも定期的に訪れる「年相応にまともな靴を履かなきゃ……」の波と戦いながら、3年のOL生活を生き抜いていた。

 

そんなときに少し状況が変わる。たまたま訪れたしまむらで買った2,000円そこらの靴が、妙に良かったのだ。かかとも脱げない、擦れることもない、しかも安い。どうしてこんなクオリティのものが今までネットでも話題にならなかったのか?と感動しながらしまむらの靴を履いて二週間後。私は見たことのない足の裏の擦り傷と戦う羽目になる。そうか、これが『安かろう悪かろう』というやつだなと、私はそっとしまむらの靴をシューズボックスの奥にしまった。薄い靴底をカバーするために入れていた中敷に足のにおいが染み着いていた。私はいつになったら素敵なOLになれるのだろう。

 

その後も『痛くない パンプス』で検索した店に行っては靴を購入するものの、ことごとく失敗ばかりしてしまう私は、ついにある日の夜、夫と帰宅途中に脱げたパンプスを見ながらやり場のない怒りを彼にぶつけた。「もう靴なんか履くくらいなら家の外に出たくないくらい追い詰められている」結婚して一年、夫もさぞ困惑したであろう。彼は感情的になっている私の言葉を紐解いて、私の代わりにインターネットで靴のブランドを探してくれた。

 

私はなかなか自分に合う靴に巡り会えなかったわけだが、どういう靴が自分に合うのかは何となくわかっていた。まずローヒール。指先をしっかりホールドし、さらにベルドがあること。このベルドが曲者で、女性靴にローヒールのベルト付きという靴はあまり存在しない。そもそもベルト付き自体があまり美しく見えないからか数が極端に少ないのだ。私は夫に自分は馬鹿ではないのでベルト付きが良いことが分かっているがどうしても見つけられないのだと訴えた。しかし彼はインターネット販売もしていて実店舗もあるブランドを数点ピックアップしてくれたのである。インターネット販売もしているということはどんな靴があるのか見ることができ、実店舗で試着して買えば良い。なんてスマートな検索術なのか。私たちはさっそく次の週末にその店舗に向かった。

 

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そうして購入した靴。凶器かと思うほど尖ったパンプス界でここまで大胆に本来の足の形に寄せ、ベルトがあり、スニーカーのような靴底で非常に歩きやすい。事務職の私からすれば普段はこの程度でちょうど良い。私は本当に嬉しくて「ストレスがない!本当にない!ずっと歩ける!」と喜んでいる。夫は「誰が見つけてきたと思っているんだ」と誇らしげだ。苦節7年、私の足はようやく報われたのだ。持つべきものは優しい夫と靴である。これで、どこに行くのも気分が良い。

母の背中

母はいつも私より早起きをして、父と私たちのご飯をつくり、洗濯をし、掃除をし、生活を整えてくれている。

 

一人暮らしを始めて、すべてを自分の手でしなくてはいけなくなったとき、あるあるではあるけれど、親のありがたさってやつを感じた。

 

そして思った。

「果たして自分に同じことができるのか?」

 

母は自分がダイエットをしているときも、家族のために料理を作ってくれる。自分がお弁当を食べるわけではないのに、早起きして高校生の私のためにお弁当を作ってくれた。

嫁ぎ先の義母はもっと極端で、夕食はほとんど食べないのに、義父と息子(夫)と嫁(私)のために、もてなしの料理を準備してくれている。

「果たして自分に同じことができるのか?」

 

休日の今日は、夫より早く起きて、まずお米をしかけ、洗濯機に洋服を放り込み、ペットたちへの餌やりを済ませ、ソファに座った。喉が渇いていることに気付いたので一旦立ち上がって、夕べに作っていたお茶を一杯飲んだ。夫がのんびり起き上がってきてからは、朝ごはんを出して、昼ごはんと夜ごはんの献立を考えながら、スーパーに行きたいと伝える。

 

なんだか、そういうふうにできているんだなぁと思った。

益田ミリが好きだ。

「ほとんどのことに興味がない」と言いながら、だからこそ珍しいイベントに「何かあるかも」と希望をいだいて申し込み、当日になると「いやだいやだ」と言いながら、結局ずるずる出かけていく。

ふつうな私のゆるゆる作家生活

ふつうな私のゆるゆる作家生活

 

 

そんなのずるいわ。

益田ミリを読み始めたのは2年近く前になる。家族の影響でなんとなく読みはじめて、結果私のほうが長く読み続けているようだ。彼女の書く漫画も好きだけど、どちらかというと私はエッセイがとても好きで、自分のことを『平凡』と称する彼女の文章をよみながら、いったい『平凡』とはなんなのかを悶々と考えたりしている。確か彼女だったと思うのだけど、「平凡な家庭で幸せに育った自分におもしろい文章が書けないなんて言われたくない」と言っていたのがとても印象的で、心に刺さった。

私はどちらかというと恵まれた人生を送っている。仲の良い両親のもとでお金に困ることもなく育ち、地方の進学校を出て大学生のときに上京し、第一志望の企業に就職し、24歳で職場結婚。ちいさい会社ということもあって、まわりに大切にされながら、自分のやりたい仕事を自分のやりたいようにできている。こんな私の書く『なにか』に果たして需要があるだろうか? 書くことが好きではあるけれど、なんだか気が乗らず、文章を書くことだけがずっと好きだったのに、ここ4年はプライベートで何かを書くことを避けてきた。

そんな私に益田ミリが刺さるのは、当然といえば当然のような気もする。自分のことを『平凡』だといいながら、共感性の高い漫画とエッセイで、今現在もたくさんの本を書き続ける彼女は、いつからか確かに私のあこがれになっている。

しかしこの『ふつうな私のゆるゆる作家生活』は、やはり彼女の『非凡』な部分が、他の本とは比べ物にならないレベルで溢れ出してしまっているように思う……。やはり素材が違うのかと、諦めてしまいそうになる。

 

うーん、でも好きなんだ。益田ミリも。書くことも。

ゆるゆると自分の書きたいことを書いていきたい。あらためてそう思った8月の終わり。

カントリー・ガールズファンとして激動の3ヶ月の記録

私がハロープロジェクトのアイドルをより強い熱を持って好きになったのは2013年の3月頃だった。その頃彼女たちは『アジアンセレブレイション』という曲を歌っていて、その年のハロプロ楽曲大賞で投票をするほど、私はその曲が好きだった。

彼女たちが活動休止を発表したのは、その約一年後。『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』を発売した後のことだった。当時の私はアイドルがどうすれば長く活動できるのかということを考えていて、彼女たちならその壁も壊していけるのではないかと思っていたところでの、活動休止という決断だった。2014夏ハロコンで、真っ暗なステージから始まるオープニングの曲が『普通〜』であったとき、私は悔しくて悔しくて泣いていた。

ところで、私の好きになるアイドルは、その性格は所謂アイドルに向いていないのでは?と思わせながらも溢れ出る才能と魅力がその人をスーパーアイドルとして作りあげてならない人、である。あくまで私の中の定義なので分かりづらいと思うが、近年のハロプロでは、小田さくら佐藤優樹あたりが分かりやすいかもしれない。ちなみに私が人生で一番初めに好きになったアイドルは、松浦亜弥だ。そういう私の基準でBerryz工房という集団を見たときに、私が好きになったのは菅谷梨沙子だった。今でも思っているのだが、Berryz工房の幕引きはきっと梨沙子のためだった。これはまた別の話なのでとりあえず置いておく。私は10年以上あるBerryz工房のほんの一部分しか見ていない。そんな思いがコンプレックスにもなって、結局私にとって最後のBerryz工房は2014年夏のハロコンということになった。

時を同じくして、一つの新しいグループが誕生した。「かわいいだけでなんとかなる、か?」というキャッチコピーで売り出されたそのアイドルグループは、パフォーマンス至上主義で少し疲れていた私の心にすんなりと入ってきた。彼女はアイドル第2の人生として、そのグループを選んだ。私は嗣永桃子と同い年で、誕生日も一月ほどしか変わらない。当時彼女は22歳。自分より10も年下の女の子たちとアイドルをするという決断は、私に衝撃を与えた。

それからはもともとのグループの魅力に加え、「同い年の嗣永桃子が育てるアイドルグループ」として、私の中でカントリー・ガールズの存在は日に日に大きくなっていった。彼女はBerryz工房時の象徴でもあった特徴的なツインテールをやめて、本来の美しさに歯止めが効かない『アイドル』として無敵な状態になった。今だから言えるが、Berryz工房時に彼女をあまり見ていなかったのは、その髪型があまりに可笑しくて、パフォーマンスの邪魔をしているとすら思っていた。ただ、Berryz工房という超個性派軍団の中において、「かわいい」が魅力の彼女が人々の目にとまるには、あれぐらいのことをしなくてはいけなかったのだろうなと、今なら思える。そしてそのときに世間についた『ももち』のイメージは、私の中にもあって、「カントリー・ガールズの中で一人目立つような行動をとったらどうしよう?」とも考えていた。この考えは全てとんだ勘違いで、彼女は本気でカントリー・ガールズを育てようとしているんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

カントリー・ガールズは、なんだかあまり話題にならないが、割と激動の中を生き抜いてきたグループだ。これまでに5枚のシングルをリリースしているが、4枚目まで毎回参加メンバーが異なっている。アイドル界を巻き込んでフィーバーを起こした島村嬉唄の脱退、ハロプロ研修生として叩き上げられた小さな巨人たち梁川奈々美船木結の加入、圧倒的なスキル・センス・あざとさを兼ね備えた稲場愛香の志半ばでの卒業、約2年はずっと落ち着かないメンバー構成だった。個人的には5枚目『ピーナッツバタージェリーラブ』の発売時に、ようやく前回のシングルと変わらないメンバーで曲が出せたと感慨深いものであった。

他のグループで、このペースでの脱退加入劇が繰り広げられたら、少しは暗い空気が漂うものであると思う。しかし、彼女たちは笑顔で居続けた。「かわいい」を続けてくれた。「嗣永塾」と揶揄されようが、トークスキルを高め、揺るぎないカントリー・ガールズの色を作り上げてくれた。やはりそれは、圧倒的に嗣永桃子の力なんだと思う。

そんな彼女が、卒業そして引退を発表した。もともと大きくなるのを見届けるためのグループ加入であったということも明言した。私はいろいろな思いが巡った。彼女が加入時に「アイドルとしての第2の人生を」と言っていたのは何だったのか。第1の人生が10年以上だったのに、第2の人生は2年そこそこで終えるのか。彼女の顔には迷いはなく、私は受け入れざるを得なかった。

だって、私はずっと見てきた。彼女がカントリー・ガールズを心から愛し、彼女が努力を惜しまず積み上げてきたアイドルとして得たものを、惜しみなくメンバーたちに注いできたことを。彼女がそこにいなくても、嗣永桃子のイズムがそこに生き続けることは、考えなくても分かることだった。

 

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という文章を、5月20日に行われたカントリー・ガールズのコンサートを見終えた後に書き殴りました。

書いていたときから、桃子の卒業公演の後に公開しようと思っていたので、とりあえず溢れる気持ちをメモ程度に書いていました。このときに考えていたオチは嗣永桃子の愛したカントリー・ガールズを、これからも応援していこう。そんな内容だったと思います。

 

でも。

 


ハロ!ステ号外 ~ハロー!プロジェクト2017新体制決定スペシャル~

カントリー・ガールズの今後の活動について|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

 

何が起きたのか分からなかった。

ほんの10日ほど前に、私は『カントリー・ガールズは、なんだかあまり話題にならないが、割と激動の中を生き抜いてきたグループだ。』と書いたばかりだった。カントリー・ガールズはその“ももちイズム”ゆえにいつも明るく笑っていて恵まれていると思われがちなことが不満だった私にとって、嗣永桃子が卒業したあとの5人でつくるカントリー・ガールズが、なによりもなによりも見たかったものだった。5人が喪失感を乗り越え、私たちにまた新しいものを見せてくれる。「ももちのグループ」「ももちがいるから」「ももちがいたから」と言われ続けた彼女たちが、ようやく自分たちの手で見返すことができる。そしてそれを、誰よりも嗣永桃子が待っている。嗣永桃子の待ち望んだ世界が、ようやくやってくる。私は心の底からそう信じていた。

5月20日のコンサートで、桃子の口から聞いた言葉は、一体なんだったのか。そのときは何も決まっていなかったのか。考えてもしょうがないことを、ずっと考えなくてはいけないのがつらかった。

 

一番悔しかったのは、「嗣永桃子が卒業した後のカントリー・ガールズが立ち行かないことを事務所が危惧しての処置」だと思われたことだ。私は事務所が言い訳のようにきれいに並べた「ハロープロジェクトの活動をより精力的に行うため」という理由を、心の底から信じている。カントリー・ガールズハロープロジェクトキッズのイズムがしっかりと染み込まれてしまい、それをカントリーの中だけに閉じ込めておくのはハロープロジェクトとしてもったいないという考えで、移籍・兼任制度をとったのだと、純粋に思い込んでいる。

この3ヶ月は、しんどかった。

カントリー・ガールズが実質解体となり、移籍先のグループが発表され、桃子のラストコンサートが行われ、終わるとすぐに夏のハロコンの準備が始まり、新たなグループの一員としてきちんとパフォーマンスを返すカントリーの子たちを見る一方で、無情にももちイズムのライブDVDが届いた。自分でもなにをいっているのかわからないが、とにかくこの3ヶ月は気持ちの浮き沈みが激しくて、自分がなんでこんな思いをしながらハロープロジェクトを応援しなくてはいけないのか、本当にわからなくなりそうだった。

そんな気持ちを抱えて、私は8月19日に中野サンプラザで行われたハロコンに参戦したのである。

 

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理想は、ハロコンの現場を見たことで、これまでのもやもやに区切りをつけ、「やっぱりハロプロ最高!!一生ついていくぜ!!!!!」と思えることだ。

しかしそんなに現実はうまくはいかない。

コンサートは、とても楽しかった。

私の推しメンである梁川奈々美さんが2年間封印していた前髪をおろすという後のハロプロ史に残る歴史的ないわゆる“確変”を遂げてしまったことで頭の中を「かわいい」が埋め尽くしたということもなくはないのだが、もう100%純粋に楽しむことは、できなくなっているのかもしれないと考えてしまった。

コンサート自体は、とても楽しかったのだ。兼任メンバーの活躍も目覚ましいし、それによって兼任先のグループもとても面白くなっている。良い刺激を与えあって、とても良いパフォーマンスを見ることができている。

でもその輝きが増せば増すほど、カントリー・ガールズの犠牲から目をそむけられなくなって、心が締め付けられるのだ。

5人のカントリー・ガールズのパフォーマンスが頼もしければ頼もしいほど。

Juice=Juice、アンジュルムモーニング娘。のパフォーマンスが素晴らしければ素晴らしいほど。

このあいだに存在する矛盾をうまく消化しきれず、もやもやしてしまってしょうがないのだ。

 

 

期待していた荒療治は、成功しなかった。ただ失敗でもないと思わなくてはやってられない。今回の夏ハロコンは、1回目ということもあってか、割とカントリー・ガールズを優先してくれるセットリストだった。おそらく本当につらいのは、これからだ。

いつか、カントリー・ガールズがまたカントリー・ガールズの活動だけになったりしないだろうかと甘いことを考えて、「それでは移籍先のグループを騒がせただけになってしまうじゃないか」と考えて落ち込む。ハロープロジェクトが好きだからこそ、やりきれない。

 

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この騒動の中でよくしれっと発売できたなと思ったコンサートツアー『ももちイズム』の映像ですが、このカントリー・ガールズは本当に素晴らしい出来でした。客席もサイリウムがカラフルに光って、桃子のラストツアーではあるものの、偏りすぎることもなく、だからこそ当時、これからのカントリー・ガールズには未来しかないと思っていました。でもだからこそ、これはカントリー・ガールズの敗北ではない、と胸を張って言えるのです。

もう、新しいハロープロジェクトは始まってしまいました。泣いても泣いても、新曲は出るし、映像も出るし、コンサートも行われます。夏ハロコンでは彼女たちの代表曲「愛おしくってごめんね」の振り付けが一番最初の5人オリジナルバージョンに変更となっていました。具体的には、サビの最後に5人がバラバラに手をあげるという振りです。私はこの曲を見たときに、3年前に嗣永桃子以外の5人で披露した「愛おしくってごめんね」の衝撃を、思い出しました。『5人組』で始まったカントリー・ガールズが、また『5人組』で再出発した、そんな風に感じました。もはややけっぱちのような文章なんですけど、何があっても私はカントリー・ガールズをいちばん応援したい気持ちは変わりません。だから、私は願うしかないんです。彼女たちが幸せで、楽しんで、笑顔でハロープロジェクトのアイドルを続けてくれることを。きっとそれが、嗣永桃子が私たちに期待することでもあるだろうから。


小生意気ガール(ショートVer.)/カントリー・ガールズ

 

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そして、あまりにカントリー・ガールズのその後が激動すぎて、桃子の卒業をきちんとお祝いすることができていませんでした。嗣永桃子という人がハロープロジェクトのアイドルをしている時代に、ファンとして応援することができたのは、とても幸せなことです。落ち込むとき、彼女が「カントリー最高!」と叫んだ声を思い返します。だからこそ今の状況が悔しいのではあるけれど。でも、きっと彼女も、このもやもやを感じながらも『小生意気ガール』の歌詞を覚えようとリピートして聴いているはずなので、私は嗣永桃子の愛したカントリー・ガールズというこのグループを、ずっとずっと応援していきたいと思います。*1

*1:期せずして、もともと想定していたオチと同じところに着地したので一件落着・・・か?